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HOME / MOTORSPORTS / ADVAN FAN / Vol.114 News Index
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世界の大自然をフィールドとして戦ってきた、塙郁夫選手。30年を超えるモータースポーツキャリア、その新たな挑戦として選ばれたのが、電気自動車によるパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムへの参戦。
塙選手はドライバーであると同時に、自らマシンをプロデュースして作り上げながら、これまでのモータースポーツ人生を歩んできている。ゆえに今回も電気自動車のレーシングマシンを、その手で生み出すことになるのだが、まずは基本的なコンセプトからお聞きしよう。

「僕は2009年に参戦する最初の時点で、既存のガソリン車のエンジンをモーターに積み換えるだけの"コンバートEV"は嫌だったんです。電気自動車は未来の車だから夢があるんだ、と言っているのに、単純にエンジンからモーターに置き換えただけっていうのはやりたくなかった。
だから、最初から自分で基礎となるフレームから組み上げた『ER-01』を作りましたが、そこでまたプライドをかけて、この車はパイクス専用にはしなかったんですよ」


パイクスに出場するために自ら仕上げた車を、パイクス専用仕様にはしなかったという塙選手。そこにある"プライド"とはどのようなものなのだろうか?

「2009年に走らせた『ER-01』は、電気自動車なのに完全な"Baja(バハ)1000"仕様だったんですよ。そう、1000マイルを昼夜ぶっ続けで走る競技であるバハ仕様なんです、電気自動車なのに。当然ですが、実際にハバに出場しても、そんなに長い距離を電池が持つはずがありません。だから、『バハを走る前提で電気自動車を作ったけれども、たまたまこの段階の技術ではバッテリーにそのまでの容量がないので、今回はパイクスに参戦しました』というスタンスにしたんです。
だから場違いなオフロードバギータイプの車だったのですが、それでも自動車メーカー系のチームが持っていた電気自動車でのコースレコードを更新することができました」
 
2009年の初参戦で、塙選手のマークしたタイムは14分50秒。その時点での電気自動車によるコースレコードである14分37秒にあと一歩と迫り、かつ自動車メーカー系のチームが1999年に記録していたタイムを大きく上回る結果を残した。

しかし、"生みの苦しみ"を痛感した一年目だったと塙選手は振り返る。

「一年目は何も知らずに行ってみて、実際はそんなに甘いものじゃなかったですね。レース本番前のテスト走行で、コース全体の3分の1を走っただけでバッテリーは無くなっちゃうし、モーターが爆発したこともありました。『これ、絶対に完走なんか無理だよ』っていうくらいに厳しかったんです。
でも、だからといって日本に帰るというわけにもいかないので、何とか走りきる方法を考えてレースウィーク中をもがき苦しみながら過ごしているうちに、電気自動車をレーシングスピードで走らせるためのコツみたいなものを掴んだのです」


気になる"電気自動車をレーシングスピードで走らせるためのコツ"については後ほどじっくり聞くことにして、ここは話の中の時計をさらに進めていこう。塙選手は2010年、2回目のパイクス挑戦にあたって、全く新しいマシンを作り上げた。

「一年目のマシンは完走できたことが奇跡でした。ただ、同時にその1回の挑戦で、完全に車の限界を超えてしまっていたんですね。だからもう、逆立ちしても何をしても、あれ以上のタイムを出すことは出来ないと判ったので、新しい『HER-02』という現在の車を作ったのです」
 
塙選手が口にした"1回の挑戦で車の限界を超えた"という言葉は、少々意外にも思える。経験豊富な塙選手であれば、より車を熟成進化させるという方法もあったのではないだろうか。

「僕も2005年から電気自動車の勉強を始めて、色々な方々からアドバイスをいただいたり、自分で車を作って走らせてみたりして、要するに2009年の時点で自分が集められたデータの集大成として『ER-01』を作ったんです。そこには残念ながら電気自動車に関する自分自身のノウハウというのは、まだほとんどありませんでした。
それが、実際にパイクスを走ってみたら、たった1回や2回のテスト走行で限界領域を超えてしまった。本気で戦おうと思ったら、色々な方々が十数年にわたって積み上げてきた経験や実績、ノウハウといったものが通用しない世界に入ってしまったんですね。
僕はいつも思うんですが、新しい技術というのは究極的な戦いの中から生まれるものだと思うんです。例えば市販に向けて3年を要して開発したようなものが、モータースポーツの世界では3ヶ月で出来てしまったりとか。パイクスではまさに、そんな状況を目の当たりにしたんです。日本にそれまで、モーターを爆発させた人なんかいなかったんですから(笑)。
もう、どうしたら良いのかを誰にも聞けなくなったから、自分たちでトライしていくしかありませんでした。だったら、次の車は最新のモーターとバッテリーでやろうということになって、世界中を探して最新のものを手に入れたのです」


こうして生み出された『HER-02』は、先代とは異なり完全にパイクス参戦に焦点を絞って作り上げられた。そして2010年の大会において13分17秒57を記録、エレクトリック・クラスの優勝を飾るとともに、電気自動車のコースレコードを更新することにも成功した。
 
コースレコード・ホルダーとして迎えた2011年、3回目の電気自動車によるパイクスへの挑戦。更なる記録更新を目標に、塙選手は『HER-02』のウィークポイント解消に取りかかった。

「2010年は電気自動車のコースレコードを大幅に更新して、上出来、いや出来すぎといえるくらいだったんですけれど、実はモーターの発熱が思っていたよりも凄かったんです。実は最終セクションではセーフティリミッターが働いて、クルージング走行でゴールしていました。
それが、とにかく悔しくて仕方なくて。だから2011年は最後の最後まで全開で行けるようにしようと思ったんです。モーターのクーリング効率を2倍くらい高めて、タイヤも新しい『BluEarth』のエコタイヤで挑戦することにしました」


エコタイヤの『BluEarth』を装着、と聞いて、驚かれた方もいらっしゃるかもしれない。速さを突き詰めて戦うモータースポーツとエコタイヤ、その組み合わせは意外なものと言えるだろう。

「モータースポーツのポジショニングをどこまでにするかで、タイヤに対する考え方も変わってくると思います。車のスポーティな走りを楽しむ、という領域であれば、電気自動車と転がり抵抗の小さいエコタイヤというのは、ものすごく相性の良い組み合わせなんですよ。ガソリンエンジンのスポーツカーにエコタイヤを装着すると、グリップ感が足りないとか、決して良くないイメージを口にする人が多いでしょう。ところが電気自動車にエコタイヤを組み合わせると、車が軽やかでスムーズに走り、特性との相性が抜群なんです。
今回のパイクスはエコタイヤの『BluEarth』で記録を更新しましたが、ガソリン車ではエコタイヤを装着してあのタイムを出すことは絶対に出来ないでしょうね。なぜならば、ガソリンエンジンにはパワーバンドがあって、ギアチェンジでその美味しい部分を使っているわけです。その上でピークを過ぎてしまうとホイールスピンしてしまうわけです。
ところが電気自動車というのは、動き出したらずっと一定のトルクを出し続けるので"ムラ"がありません。だからエコタイヤが持つスムーズさが利いてくるのです」


電気自動車でのモータースポーツでは、エコタイヤとの相性がとても良いと自信を持って語る塙選手。しかし、電気自動車はガソリン車に比べて重量の面でもハンデを背負っているのではないか。そうだとしたら、その走りを支えることについても、エコタイヤでは物足りなさを覚えたりしないものなのだろうか。

「この車でも400kgのバッテリーを搭載していますから、重さとしてはガソリン車よりも電気自動車の方が重いですよ。でも、その重量差が全く関係なくなるくらいに、モーターのパフォーマンスが素晴らしいんです。
そして、重さも含めてしっかりと『BluEarth』が走りを受け止めてくれますから、物足りなさや不安を覚えることはありません。156のコーナーを、全く破綻することなく駆け上がることが出来るんですよ」
『BluEarth』の優れたパフォーマンスは、コースレコード更新という記録でも改めて実証された。世界的なモータースポーツ競技会の場で、数字としても証明されたポテンシャルの高さ。
次回はそんなタイヤのポテンシャルを引き出しつつ、電気自動車ならではの速さを追求した独特の走り方について、さらに詳しくお聞きしていこう。
[UPDATE : 25.Nov.2011]
           
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