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Pacific Cup Rally Hokkaido (1) Rally Hokkaido (2) Asia Cup
全6戦のカレンダーとなる2012年のAPRC(FIAアジア・パシフィック・ラリー選手権)は、第5戦の「Rally Hokkaido」が9月14日から16日にかけて開催された。

舞台となったのは、北海道の十勝地方。人口17万人の帯広市をホストタウンに、十勝地方北部の陸別、足寄、本別、音更という4つの町にもSS(スペシャルステージ)が設けられた。

今年も全日本選手権が併催され、エントリー台数は史上最多の総勢90台。APRCにもシリーズを戦う登録選手に加え、日本人クルーが多数出場し、42台のエントリーとなった。

そして、そのうちの実に半数以上、25台がヨコハマタイヤを装着しての参戦。ハイスピード・グラベルラリーとして知られる「Rally Hokkaido」。
結果から言えば総合優勝を新井敏弘選手組が飾ったのを筆頭に、APRC登録選手ではアジアカップを戦う炭山裕矢選手組が総合2位でAPRC勢の優勝、2輪駆動車部門はプロトンを駆るカラムジット・シン選手組がトップ、そしてジュニアカップを戦う番場彬選手組もウィナーとなって2年連続でタイトルを手中におさめた。
つまり、ヨコハマタイヤ勢が完全勝利を飾った一戦、それが2012年の「Rally Hokkaido」なのである。
 
昨年よりも2週間早い開催となった、2012年の「Rally Hokkaido」。それでもカレンダーは9月も半ば、北海道ということで厚手の上着を用意して現地入りする選手や関係者が多かった。事実、早めの現地入りをしてテストなどに臨んだ海外勢は、ラリーウィークの週の始めが雨模様だったこともあり、フリースなどを着込んでいるケースがほとんどだった。

しかし、戦い本番を迎えるにつれて天候は好転、レッキが行われた木曜日や金曜日は真夏のような眩しい日射しが照りつける。帯広市は最高気温が30度を超え、9月としては観測史上最高の暑さにさえ見舞われたのだった。

そんな中で14日(金)に開幕を迎えた、11回目を数える「Rally Hokkaido」。今年も30km近いロングの林道ステージから、サービスパークに隣接する1.2kmの特設ステージ、陸別サーキットと林道を組み合わせて途中には名物のウォータースプラッシュを設けたステージなど、全18SS・合計220.48kmの多彩な道が選手たちを待ち構えた。

金曜夕方のセレモニースタートを経て、早速Leg1-AとしてSS1「OBIHIRO 1(1.20km)で競技は幕開け。既に夜の帳はおりているが、無料開放されていることもあって多くのギャラリーが走りを見守る。

そこで圧巻のトップタイムを叩き出したのが、4ドアのスバル・WRX STI R4仕様をデビューさせた新井敏弘選手/ディール・モスカット選手組。僅か1.20kmのショートステージで、日本初登場となったシュゴダ・ファビアS2000を2.7秒も上回る1分05秒9のステージベストをマーク、多くのファンの期待に応えた上々の滑り出しを見せる。
また、シュコダと同タイムの2番手にはアジアカップを三菱・ランサーエボリューション]で戦う炭山裕矢選手/加勢直毅選手組が続いた。さらに6番手にはR4パーツを組み込んだスバル・WRX STIで出場する牟田周平選手/星野元選手組が食い込み、こちらも明日以降の林道ステージでの走りに期待が高まる結果を出した。
モータースポーツが根付いている、北海道・十勝地方
北海道・十勝地方はモータースポーツが地域に深く根付いている。

ラリーは地区戦などが長く開催されていたが、2002年に日本で初めてのFIA選手権を冠した国際大会として「Rally Hokkaido」が開催され、さらに2年後の2004年にはWRC(FIA世界ラリー選手権)に発展、帯広市の目抜き通りを前例の無い多くの人が埋めつくして、地元の人々を驚かせた。

その後、WRCは開催地を2008年から札幌方面へと移したが、APRC/全日本選手権としての「Rally Hokkaido」は十勝地方で継続開催され、関連する自治体も強力にバックアップ。また、各地でラリーを成功させるための有志が集い、大会の成功を支え続けている。

また、今では大規模なレースの開催こそ無いものの、南十勝の更別村には国際公認サーキットコースも存在しており、モータースポーツを楽しむ環境も国内随一といえるのが、北海道・十勝だ。
 
一夜明けた15日(土)も好天に恵まれた「Rally Hokkaido」。各選手は朝一番の15分サービスを受けると、十勝北部に設定されたステージへと移動していく。

本格的な林道ステージの皮切りとなるSS2「NEW KUNNEYWA 1(28.04km)」。このロングステージは勝負どころのひとつに挙げられていたが、僅か0.1秒ながらS2000勢を下して新井選手組が連続ステージベストを獲得する。

そして次は大勢のギャラリーも待ち構える「RIKUBETSU LONG 1(4.63km)」。例年通り、林道とグラベルサーキットを組み合わせたレイアウトで、スタートから2.4kmほどの地点にはウォータースプラッシュも待ち構えている。

しかし、このウォータースプラッシュに足をすくわれてしまったのが、新井選手組だった。豪快に水しぶきをあげて通過した先の右コーナーでアウトにはらみ、車体を半分路肩から落として左側面を立ち木にヒット。しかし絶妙なリカバリーを見せてコースに復帰、フェンダーやドアなどにダメージを負ったものの、そのまま競技を続行する。
新井選手はこのタイムロスが響いて総合ポジションを3番手に下げた。一方、ステージベストを奪ったのは炭山選手組、牟田選手組も4番手タイムで食らいついていく。

一方、ジュニアカップを競い合う番場彬選手組とマイケル・ヤング選手組は、リピートなるSS6「RIKUBETSU LONG 2」で明暗を分けることに。大先輩・カラムジット・シン選手組から2.8秒遅れでSS6をあがった番場選手組に対して、ヤング選手組はウォータースプラッシュ先のコーナーで無念のコースオフを喫し、戦列を離れてしまうこととなった。」

その後、日本勢はSS8「NEW KUNNEYWA 3」で新井選手組が、この日の締めくくりとなるSS11「OBIHIRO 3」で炭山選手組が、それぞれステージベストを叩き出す。
Leg1を終えての順位は新井選手組がトップと53.6秒差の2番手、S2000勢を2台はさんで炭山選手組が5番手、牟田選手組は6番手で続く展開に。2輪駆動勢ではカラムジット・シン選手組が総合17位でトップ、その43.2秒後ろに番場選手組というオーダーになった。
年間気温差は実に70度! 夏も冬も楽しめる陸別町
十勝地方の最北部に位置する陸別町。この町にある陸別サーキットは、「Rally Hokkaido」のギャラリーステージとしてすっかりお馴染みの存在である。

この陸別町は“日本一寒い町”を謳っている。事実、統計では1月の平均最低気温が氷点下20.2度、過去の記録では町の中心街で氷点下35.5度も記録されている。
この寒さを逆手に取り、近年は「しばれフェスティバル」が冬の恒例行事になった。その中の目玉イベントが「人間耐寒テスト」で、これはバルーンマンションと呼ばれるテント地を氷で覆ったドームで、ストーブ無しに一夜を過ごすというものだ。

一方で夏場には最高気温が30度に達することもある陸別町。一年を通じての気温差は、実に70度になることもあるわけで、この町には自動車メーカーがテストコースを構えているのもうなずけるところ。

そんな陸別町で最近人気なのが、廃線となった鉄道を活用した運転体験。手軽なコースから本格的なコースまでが設定されており、家族連れから鉄道ファンまで幅広い層の人気を集めている。
なお、陸別町の公式サイトには、これら観光情報のほかに「ラリー・オフロード」というコンテンツが設けられており、モータースポーツに関する情報も積極的に発信されている。
 
勝負が決する16日(日)のLeg2。夜半には帯広市内でも若干の降雨があり、日曜日の朝は気温がグンと下がっていた。しかし幸いに、SSがフルウェットに転じることは無かった。

2番手で折り返している新井選手組は、夜の内にノーマルドアをR4規定に準じて軽量化したものを用意、朝のサービスでこのドアに交換してステージに向かう。一方でここまで大きなトラブルなども無い炭山選手組や番場選手組は、ルーティンに近い内容の作業でサービスパークを後にした。

朝一番のSS12「OTOFUKE 1(6.29km)」を終えて、新井選手組とトップのガウラブ・ジル選手組のタイム差は57.7秒。これをSS13「NEW ASHORO LONG 1(29.11km)」で3.6秒、SS14「HONBETSU 1(10.78km)」で1.4秒、ステージベストを叩き出した新井選手が詰めていく。

3本を走り終えたマシンは、帯広市内のサービスパークに戻り、この大会で最後のサービスを受ける。残るSSは4本。新井選手以下、各クルーがどこまでポジションを上げられるか、タイム差を詰めてくるかに注目が集まった。

しかし、同時にここまでのSSだけで既に173.1kmを走っているマシン、その負担は決して小さくなかった。SS15「OTOFUKE 2」は、帯広市の北隣にある音更町に設けられたステージ。サービスパークから他の林道SSに比べれば近いロケーションだったが、そのスタートにトップのジル選手は姿を見せず。クラッチトラブルでリタイアとなったのだ。
結果的に今年の「Rally Hokkaido」は、ジル選手組を含め4台のS2000マシンが全滅するというサバイバルな展開になったのである。

これで首位に立ったのは新井選手組、2番手が炭山選手組、そして3番手には牟田選手組と、ヨコハマタイヤを装着するクルー達が名を連ねた。惜しくも牟田選手はSS16「ASHORO LONG 2」で痛恨のリタイアを喫してしまったものの、代わって3番手に浮上したのはベテランの田口盛一郎選手組。

こうして熾烈な生き残り戦となった「Rally Hokkaido」は、新井敏弘選手/ディール・モスカット選手組が3年連続の総合優勝を飾った。さらにAPRCのアジアカップは炭山裕矢選手/加勢直毅選手組が制し、APRCシーズンエントリー勢のトップは同時に2輪駆動車部門のトップともなったカラムジット・シン選手/ヴィヴィク・ポニュサミイ選手組が獲得。
また、番場彬選手/保井隆宏選手組も過酷な長丁場をしっかり走りきり、堂々の2年連続ジュニアカップ獲得を達成。

ヨコハマタイヤ勢が完全に表彰台の主役となった「Rally Hokkaido」、国際競技向けグラベル用ラリータイヤのADVAN A053が見せた強さと速さが、印象的な一戦となった。

【>> Rally Hokkaido・APRC 結果表】
Engineer Voice =横浜ゴム・MST開発部 技術開発2グループ  八重樫 剛=
APRCの各シリーズ戦の中で、「Rally Hokkaido」はアベレージスピードが高いという特徴があります。今回、最もアベレージが高かったのはSS5の「NEW KUNNEYWA」で、117.7km/hに達しました。海外のラリーと比べても、グラベルとしてはかなりのハイスピードラリーなのです。
こうした高速域を開発段階から視野にいれているADVAN A053には、ベストマッチの一戦だと言えるでしょう。

また、路面の質は柔らかく、走行を重ねることでワダチが深く掘れていくのも特徴です。この点について日本人ドライバーはワダチに慣れていて巧く活かした走りをするのですが、初めて走った外国人ドライバーの中には戸惑いを見せた選手もいましたね。
こうした場面でもADVAN A053は、ピークはもちろんコントロール性も重視して作り上げているので、ワダチでの操縦安定性でも優れたパフォーマンスを示しました。また、砂利の多さに対して今回はトラクション部をハンドカットすることで対応しています。

今年の開幕戦からはプロトン・サトリアネオに適応する150/625R15サイズを投入していますが、これは2輪駆動の比較的パワーが小さい車両をターゲットとしています。具体的にキーポイントとなるのは、トラクション性能やアクセルを開け続けられるコントロール性能。こうした部分を活かしつつ、A053の特徴であるハイスピード域での安定性をプラスさせたイメージでしょうか。
結果的にはトラクション、安定性の両面でADVAN A035を上回るものが出来上がりました。スバル・WRXや三菱・ランサーのサイズは、車が持つ強力なパワーとトルクをタイヤが受け止めて路面に叩きつける屈強なイメージ、対してサトリアネオのサイズは限られた車のパワーを確実に路面へ伝えるしなやかなイメージ、という感じです。

また話題となったスバル・WRX STI R4の4ドア仕様ですが、タイヤから見た限りは5ドアハッチバックとの違いは全くありませんでした。重量が5ドアよりも10kgほど増えているのですが、影響はありませんでしたね。
むしろ、当初は若干セッティングに戸惑った部分もありましたが、リアの落ち着きが良いだけにハイスピードラリーでのポテンシャルは高そうです。ADVAN A053もIRC(インターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ)で培った高いコントロール性、路面・天候を選ばない安定性が、4ドアボディにも対応出来たと考えています。

アジアカップを制した炭山選手は、本当に走りが安定していましたね。タイヤ選択にも迷いは感じられず、速くて安定した走りを見せて、マシンもノントラブル、タイヤももちろんトラブル無しで走りきれました。これは走りながら冷静にきちんと周りが見えている証拠ですから、この調子で最終戦の中国にも期待したいところです。

ジュニアカップは番場彬選手組がタイトルを確定させました。昨年はADVAN A035での戦いでしたが、今年はA053になったことで、さらにハイレベルな戦いに貢献できたと自負しています。
番場選手はA053を初めて装着したときから気に入ってくれましたし、タイヤの使い方についても積極的に質問を寄せてくれて、本当に良く研究していました。ラリー中にも、より良いA053の走らせ方をトライしてましたし。さらに、コ・ドライバーの保井隆宏選手も、コ・ドライバーの視点で感じたタイヤの挙動を寄せてくれたりして、保井選手の貢献度も高いと思います。

ヨコハマタイヤ勢が圧倒的な活躍を見せた「Rally Hokkaido」になり、最高の結果を残すことができました。今までの開発の方向性が間違っていなかったことも証明できましたが、今後も今回の結果に甘んじることなく、さらなるレベルアップを図っていきます。
UPDATE : 28.Sep.2012]
             
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